番町遺跡[2次調査]

番町遺跡2次_SK69
[ 土器が廃棄された土坑 ]
所在地
 松山市一番町
所属時期
 江戸時代

 番町遺跡は国指定史跡松山城跡の南東麓に広がる遺跡です。「坂の上の雲ミュージアム」建設に先立ち松山市によって1次調査が行われ、17世紀後半の園池跡が検出されています。当センターは平成18年に道路を挟んで西側の地方裁判所敷地内約720平方メートルを平成18年12月から平成19年3月に調査しました。

 当地は松山城下町絵図などから松山藩の武家屋敷が広がっていたことがわかっており、特に「松山城下町寛永図」以降は、家老職の居住地としてひときわ広い敷地を有しています。また、17世紀半ばから19世紀前半までの約200年間に8家の屋敷替えがあったことが明らかになっています。遺構面は三面確認されたが各遺構面とも廃棄土坑が多数を占め、礎石建物などは検出されていませんが、第二遺構面では池の一部が検出されており、1次調査区同様に屋敷地内部に庭が造られていたことがわかりました。

 一方、出土遺物は陶磁器・土師器・瓦・木製品・金属製品・動物遺存体など多種におよび、なかでも陶磁器は肥前系(唐津・波佐見)を中心に、瀬戸・美濃系、京都系、信楽系などが出土しています。また、地元生産品として砥部焼や西岡焼などもみられますが、家老という地位から感じる高級な製品はほとんどみられず日常雑器類が多くなっています。

 これらの出土遺物から得られた新たな知見は、ひとつは軒平瓦の模様に湯築城跡で出土したものと同紋の瓦が確認されたことです。江戸時代の湯築城内の利用形態はほとんど明らかになっていませんが、同紋瓦の出土により松山藩によって城内に瓦葺きの建物が建てられていたことが明らかになりました。

 また、廃棄土坑の一つからまとまって出土した土師器皿・杯類は大きさから大・中・小の三種に分類でき、さらに形態上の特徴から二種に細することができます。これらの土師器は中世後期の湯築城のものと比較してもほぼ同様であることが判明しており、時代が下っても土師器皿・杯の製作に当たっては寸法・形状などの規範に大きな変化がないことが明らかとなりました。ほかにも、動物遺存体の分析からは当時食されていた魚類や動物などの種類も把握することができました。

 狭い範囲の調査でありましたが、特に遺物から得られた情報は大きなものです。過年度の調査成果などを総合した研究を行うことによって、城内家臣の階層差の実態像が具体的に明らかにされていくものと考えられます。

番町遺跡2次_SK69近景
[ 土器が廃棄された土坑(近景) ]
番町遺跡2次_SK84
[ 土器が廃棄された土坑 ]
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番町遺跡2次_雲竜見込荒磯文碗
[ 雲竜見込荒磯文碗 ]

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