平田七反地遺跡

縦板組型の井戸
[ 縦板組型の井戸 ]
所在地
 松山市平田町
所属時期
 中世

 平田七反地遺跡は松山平野の北辺部の大内谷と呼ばれる谷の入り口に位置しています。中世には風早郡高縄山城に台頭した河野氏の家臣、大内氏の本拠地となります。発掘調査は東西170m、南北50m、調査面積6,400平方メートルの範囲で行われました。

 調査の結果、掘立柱建物、井戸、土坑、溝、土坑墓、柱穴などの遺構を多数検出しました。掘立柱建物は溝に囲まれ、建物に近接して井戸が1あるいは2基程度構築されているようです。遺構の時期は概ね12〜15世紀と考えられます。
 また、16基検出された井戸は構造も様々で、丸太刳抜型・縦板組型・曲物の積上げ型・石組型・素掘型と多種に渡っています。時期は丸太刳抜型以外は掘立柱建物と同時期と考えられます。

 中世集落が調査区の西側に広がりをみせているころ、集落の東側は墓域となっています。この墓域からは、伸展葬の土坑墓が3基検出され、土坑墓内より青銅製の和鏡が出土しています。

 出土遺物は日常的に使用される土師器・瓦器の椀・杯・皿などがほとんどですが、井戸内から出土した木簡や石鍋を転用した印章などは流通・交易を示唆する遺物と考えることができます。

 遺跡の北側には当時海上交通の要衝として栄えた堀江の港があり、当時は一般的な農村の性格を持つ集落であると同時に、商人達が活躍した交易の場であったのかもしれません。

平田七反地遺跡_SE2
[ 曲物の井戸 ]
平田七反地遺跡_SB04&05
[ 掘立柱建物 ]
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平田七反地遺跡_和鏡
[ 土坑墓から出土した和鏡 ]


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