大開遺跡 / 松ノ丁遺跡

所在地
 西条市北川
所属時期
 弥生・古代

 大開遺跡・松ノ丁遺跡は、白鳳時代に創建されたと伝わり、現在では「千本牡丹」で有名な法安寺の南側に位置しています。この一帯は中山川右岸域に展開する河岸段丘状上で、大久保遺跡・松ノ元遺跡・新屋敷遺跡と弥生時代前半から古代にかけての遺跡が密集する地区でもあります。

大開遺跡_1区・2区全景
[ 大開遺跡:1区・2区全景 ]
 大開遺跡では、竪穴住居5棟、掘立柱建物18棟、鍛冶遺構1基、柵列7条、溝68条をはじめ、多数の土坑や小柱穴群が検出されました。弥生時代の遺構は大開遺跡4区に顕著にみられ、円形の竪穴住居の周りに「周堤」と呼ばれる小規模な土手を設けているのを特徴とします。これらの住居内からは多量の石鏃と石鏃を作る時に廃棄されたサヌカイトの剥片が500点以上出土していることからも石器製作を行っていた住居と考えられ、住居内や付近の土坑からは分銅形土製品と呼ばれる当時の祭祀道具も見つかっており。一帯に弥生時代のムラが存在していたことが考えられます。

 古墳時代の遺構は極めて少なく、古代の遺構が大開遺跡1〜3区で多く見つかっております。柱間を2間×3間を基本とする掘立柱建物は、礫が多く硬い地盤に同一場所での建て替えが行われ、建物と柵列は同じ方向(北41度西)を向いており、特に1・2区で検出された掘立柱建物の配置には官衙によく見られる「コ」字形の建物配置がみられ、規則性を持って建物が配置されたことが明らかとなっております。各遺構の時期は奈良時代(8世紀)が中心で、一部平安時代の11世紀初頭頃まで下るものもあります。出土遺物は少なく、特に煮炊きに用いられる土器が極めて少ないことから居住区として利用されていないことが考えられます。

松ノ丁遺跡(1次)_全景
[ 松ノ丁遺跡(1次):全景 ]
 松ノ丁遺跡では竪穴住居11棟、掘立柱建物17棟、柵列2条、溝31条をはじめ、土坑や小柱穴群が検出されました。竪穴住居は全て方形を呈し内1棟には造りつけのカマドが設けられていました。出土遺物により奈良時代(8世紀)中〜後葉頃のものと考えられます。

 大開遺跡と同じく、掘立柱建物は全て同じ方向(北41度西)を向き、柱間を2間×3間を基本とする掘立柱建物以外に、総柱構造の倉庫と考えられる建物も含まれていました。各建物の時期は法安寺跡と同じ白鳳時代(7世紀後半)から奈良時代(8世紀)が中心で、一部平安時代の10世紀末頃まで下るものもあり、奈良時代(8世紀)中〜後葉頃には主に居住区として用いられた事が考えられます。出土遺物には、遺構内より一般の集落からはあまり出土しない赤色塗彩土師器や他地域で作られた土師器、内陸部では珍しい製塩土器などが出土しており、一般の集落とは異なった特徴を持っています。

大開遺跡_SI02〜04と周辺の完掘状況
[ 大開遺跡:竪穴式住居と溝 ]
松ノ丁遺跡(1次)_SB-02完掘状況
[ 松ノ丁遺跡(1次):掘立柱建物 ]
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 両遺跡は隣接し、弥生時代は集落の一部が確認でき、古墳時代の遺構は見つかっていないが大開遺跡の極めて近くに古墳が存在することから兆域にあたることが想定されます。古代期においては近くに南海道が通っていることや、北41度西方向に規制された掘立柱建物・柵列群が共通し遺跡の性格は建物の配置等から一般の集落とは異なっており、古代の役所や法安寺関連施設や法安寺創建に関わった地方有力豪族(丹治比氏)の一拠点などが考えられる遺跡です。


〜この遺跡の発掘調査報告書はこちら〜


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