別府遺跡

別府遺跡_1区完掘状況
[ 別府遺跡1区 全景(北から) ]

別府遺跡_1区遺構図

[ (図1) 別府遺跡1区 遺構図 ]
所在地
 松山市常保免
所属時期
 古代

 本遺跡は松山市河野別府に位置しており、東部に広がる高縄山系から西方の斎灘へ流れる河野川と高山川に挟まれた、両河川の浸食・堆積によって形成された扇状地及び扇状地性氾濫上の標高約20m〜23mで検出されました。
 調査は2001年に行われ、調査区は1〜3区で構成されています。主な時期は中世・古代であり、数多くの遺構・遺物を発見しました。その中でも、古代時期に特定できる1区(図1参照)の隅丸方形の土坑(写真1参照)からは鞴(ふいご)の羽口・須恵器の杯・赤色塗彩土師器の大皿などが廃棄されたような状態で出土し注目されます。遺構周辺では古代の瓦も出土しました。

 また、古代時期と考えられる土坑・掘立柱建物跡は主軸が南北を示しますが、中世時期と考えられる柵列などは主軸が北から東へ約14度傾いています。これは時期による条理…地割の影響を受けた物と考えられます。

別府遺跡1区_SK001
[ 別府遺跡1区 SK0001 ]
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別府遺跡と周辺の条里・地割復元案
[ (図2) 別府遺跡と周辺の条里・地割復元案 ]
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 では、遺跡周辺を条理・地割で考えてみましょう。図2中の緑のラインは現在でも中世の条理の影響を受けている道だと考えられます。周辺の田畑や家屋もおおむねこの条理の影響を受けていると考えられます。しかし別府遺跡の南側約100m地点に中世の条理の影響を受けていないほぼ東西に延びる道が1本(オレンジのライン)残っています。全長で約109mあり、昔の単位で一町の距離です。このラインを別府遺跡に向かい一町四方に拡張すると1区の掘立柱建物跡と土坑がこの一町四方の北東隅に主軸を南北に併せた状態で含まれるようになります。一町四方で古代の施設で考えられる物を挙げると、まず寺院が考えられます。一町四方の外塀で囲まれ、内部に塔や金堂などの伽藍配置が展開するのです。

 この推定一町四方の西側の黒いポイントの位置に茶臼権現と呼ばれている1辺が約1.5mの大型の礎石が1つ残っています。地元の人の口伝ではありますが、明治時代の初め頃までは数多くの大型の石がこの周辺に集積されており、明治19年の大洪水で決壊した高山川の堤防修復にこの集積された石を利用したと伝えられています。その集積された大型の石の中の一つがこの礎石だと考えると、この礎石と同等の礎石がいくつも存在した可能性が考えられます。

 また、この茶臼権現と呼ばれている礎石の東方・別府遺跡1区を含む地点に「大寺」というホノギが残っており、状況証拠及び発掘調査の成果から推定一町四方の中にまだ見つかっていない古代寺院があった可能性が考えられます。今後のこの付近の調査成果が期待されます。

別府遺跡1区出土_鞴の羽口
[ 鞴の羽口 ]
別府遺跡1区出土_赤色塗彩土師器
[ 赤色塗彩土師器 ]
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〜この遺跡の発掘調査報告書はこちら〜


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