鶴来が元遺跡

遺跡全景
[ 遺跡遠景 ]
所在地
 西条市小松町妙口
所属時期
 縄文時代

 鶴来が元遺跡は、縄文時代後期(約4,000〜3,000年前)を主体とする遺跡です。発掘調査は四国縦貫自動車道建設に伴って行われ、建設地内の7,900平方メートルが調査対象となりました。

 この調査では縄文時代早期・中期・後期、中世の遺構・遺物が確認され、出土遺物は縄文土器、中世土器をあわせて約12,000点出土していますが、その多くが縄文時代後期の土器です。遺構の多くも縄文時代後期に位置づけられるもので、遺構や遺物の確認数からみれば、縄文時代後期を主体とする遺跡であるといえます。

 縄文時代後期の遺構では、土坑が27基確認されています。これらの土坑は、平面形が円形のもの・楕円形のもの・隅丸長方形のもの・不整形なものがあり、今回の調査における隅丸方形のものについては、墓として機能した可能性が考えられます。

 縄文時代後期の土器には、無文土器(約80%)、中津式土器(約3%)、福田KII式土器(約3%)、広瀬土坑40号段階の土器=松ノ木式土器(約14%)が確認されており、これらの土器から考えれば、その編年的位置づけは縄文時代後期の前葉に位置づけられます。また、これらの土器組成は、愛媛県東部地域に特徴的な小松川式土器の標識遺跡である小松川藤木遺跡のそれとほぼ同じ組成を示しており、土器研究の上でも本地域における代表的な遺跡として位置づけられると考えられます。

 さらに、縄文時代後期土器の中で、深鉢の底部に穿孔が施されたものがあり(多孔底土器)、この土器に付着していた白色付着物の理化学分析(脂肪酸分析)を行ったところ、植物質の海藻または珪藻に由来する脂肪酸が確認されました。当時の食事情を考える上でも興味深い分析結果といえます。

 本遺跡は土坑などの存在から、当時の集落跡として機能したことも考えられますが、縄文土器の大量な散布状況を考え合わせた時、単に集落跡として位置づけることはできないのではないでしょうか。遺跡の機能を解釈する上では、周辺との対比を含めた論証が必要であると考えます。

 加えて、調査区内の一部では、鬼界アカホヤ火山灰層(K-Ah)を含むと考えられる堆積層が確認されており、この周辺から縄文時代早期(約9,000〜6,000年前)の押型文土器や無文土器も出土しています。これらは押型文土器が黄島式土器に、無文土器が高山寺式土器に比定されていると考えます。

鶴来が元遺跡_出土遺物
[ 出土した遺物 ]
鶴来が元遺跡_出土遺物
[ 出土した遺物 ]
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